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美しいもの。美しい人。

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2011年 10月 01日

光の中へ。

外を歩くと、あちらこちらから金木犀の良い香りが漂い、
すっかり秋になったのだなぁ、と実感しています。
さて、先週、9月23日のこと。
しばらく入院をしていた父が亡くなりました。
いるのが当たり前、と思っていた自分の親が、
もう話す事も、一緒に出かけることも出来なくなってしまったのだと思うと、
少しだけ、涙が溢れそうになります。
どうしてこんな親のもとに生まれたのかなぁ、と思った事もありましたが、
それでも、いつも優しく穏やかに私達を見守ってくれていた父でした。
そんな父を送った時の事を、今日は書かせていただきますね。

8つはなれた姉と、私は、数年前から精神学を勉強しています。
それらを勉強する中で、私達は色々な事を知り、またいろいろな経験をしました。
そんななか、「より良く」生きた人間には、
お墓もお葬式も、お経も戒名も必要ない、という考えにいたるようになりました。
もちろん、父にそのような考えを押し付けた事は一度もありません。
おそらく父の年代でしたら、
盛大な葬儀を行い、高いお金を支払いより位の高い戒名を頂く、という事が
当たり前と考える年代でしょう。

父が亡くなった直後、葬儀などはどうするのか、母に聞いたところ、
「じーちゃんは、散骨してくれと言っていた」とのことでした。
それを聞き、私たち家族は、葬儀などは行わず、家族だけで見送ろう、と決めました。

父が亡くなった次の日・・・・。
姪のところに父がやってきて、
「光を見てきた。○○(←姉の名前)の言っていた通りだった」
「光を見て、学ばなければいけない、という事もわかった。
なので、火葬がすんだら すぐに光に昇るから」  と言っていたそうです。
その言葉通り、49日を待たずして、父は天に昇っていったようです。

おそらく父は、良き時と場所を選んで、また生まれ変わる事でしょう。
「死んだら終わり」ではないという事を、父は知らしめてくれたように思います。

人は、身体があるうちにしか考え、学ぶことはできません。
私は、全てを学び終えて、生まれ変わりもせず、
完全なる消滅をするのが本来の人のあり方ではないのかと思います。
残念ながら父は、「学ばなければいけない」と言っていたように、
今生では全てを学び終えることは出来なかったのかもしれません。
でも、次にこの世に生を受けたら、必ず全てを知り、考え、学び終えることができることと信じています。

最後に、父へ・・・・。
私達の親でいてくれてありがとう。

by lococo16 | 2011-10-01 14:58 | 家族


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